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フォーク

ナイフとフォークで食事をするのは、箸文化の日本でもごくありふれた風景となっています。でもフォークがフランスの食卓に登場するのは意外に新しく、16世紀ルネサンス期を随分過ぎてからのことなのです。
今でもインドやアフリカ、一部のイスラムの人々は、上手に手を使って食べていますね。私は、口当たりの堅い金物のフォークやそれよりは少し柔らかい木や竹製の箸でさえ使わずに、指で料理を直接つまんで食べる方が、食べ物をより感じやすいし、繊細ではないかと思っています。目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、舌で味わい、のど越しを楽しむ、他に指でも温度や固さを味わえるのです。
でもマナー教室さえ開催されるほどナイフ、フォークの使用を優雅に行いたい人がいる日本では礼儀として重要視されていますが、フランスだってほんの数百年前には、卓上に供された肉の大きな塊をナイフで切り取って手でつまんでいたのです。

初め、キッチンで大鍋に入った肉をつまみだすために使っていた大きなフォークを卓上で使うようになったのは、東ローマ帝国つまりビザンティン帝国ででした。文献によれば1056年ビザテンティン皇帝の娘がイタリア、ヴェネツィア共和国の統領に嫁いだ折に嫁入り道具の一部として持参したのがヨーロッパでフォークを使った初めての例になるようです。フランスへは、当時の他の文明の利器と共にメディチ家のカトリーヌやマリーがヴァロワ王家に嫁いだ時から始まります。前回ナイフについて書いた時にも言及しましたが、ルネサンス期のヨーロッパではまだまだテーブルマナーなど存在せず、ありとあらゆる蛮行が食事時に行われていました。しかし世の中が落ち着き、文化が高まり、経済的にも裕福になると、人はエレガントになるものです。リシュリューが始め、ルイ14世が採用した暗殺防止のためのナイフの刃先を丸くすること、だけではなく、めいめいの皿に載せた食べ物をフォークで刺し、ナイフで切って小さくし、口に運ぶという優雅なしぐさが流行しはじめます。もっとも当時としてはとても長生きだったルイ14世(1638-1715)は多くの時代を生き、食卓においても若いころに慣れ親しんだ手での食事を、フォークが流行した晩年においても通していたということです。手で食べるなんて非文明的、だなんて誰も言わず、その食事風景を優雅だと賞賛した人たちも大勢いました。

日仏料理協会
宇田川政喜
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テーブルナイフ

どれを見てもほとんどのナイフは先が尖っています。それなのに食卓にセットする食事用のナイフの先はなぜ丸いのでしょう。

先日テレビのあるクイズ番組で出題され、私が正解を与えるという場面がありました。

確かにテーブル以外で先の丸いナイフを見ることはあまりありませんね。事の始まりは、

ルイXIII世の時代に宰相リシュリューの邸宅でのことでした。晩餐会の招待客がとても行儀が悪く、特にナイフの先を使ってつま楊枝のようにして歯間の掃除をするのにリシュリューは我慢がならなかったので、召使に命じて家の食事用ナイフの先をすべて丸くしてしまったのです。 ここまでがテレビでの説明だったのですが、時間が少なすぎて、というより視聴者の興味がここまでと考えた製作者が、ここで終わりにしたのです。

このことが起きたのは1610年とも1637年とも言われますが、いずれにせよ、その当時、王侯、貴族とはいえ、まだまだフランスにはテーブルマナーなどという概念は存在していませんでした。 ルネサンス期にヨーロッパの先進地方となったイタリアから大いに影響を受けたブルボンの王侯や貴族たちは、芸術、建築などあらゆる文化の吸収に努めました。 でもその先進国イタリアでさえ、食卓では、食べかすは床に投げ捨て、汚れた手を隣の貴婦人のスカートで拭く、などひどい有様でした。 この様子は、かのダヴィンチのメモ書きを本にまとめた『レオナルド・ダ・ヴィンチの空想厨房』(東京図書)に詳しく書いてあります。

このリシュリューの振舞をおしゃれと感じた人たちがまねをはじめたのですが、先の丸いナイフ普及の決定的要因は、その後、国王となったルイXIV世でした。 1643年父王が死んで5歳で国王となったルイXIV世は、王位を覗う人たち人たちに命を狙われ、一時はリシュリューの邸宅のあったパレ・ロワイヤルに匿われていたほどでした。 こんな王でしたから、王位に就いた後も常に暗殺の心配があったので、食卓での一層の安全を考慮して、1669年勅令を発し、食卓での先の尖ったナイフの使用禁止を言い渡しました。 これがきっかけでフランスにおけるテーブルナイフの先は丸くなったのでした。 もちろん時代の経過とともにこんな法令はなくなりますが、習慣は今でも残っているのです。 もちろん現代の食卓にはラヨルLaguile などの先の尖った肉用ナイフもよくみられます。

次回はナイフの続きで、フォークについて書いてみます。

日仏料理協会
宇田川政喜

プーロ・ポ

フランス料理に関わるよしなしごとをぼつぼつと書いてみようと思い始めたことですが、この「フランス料理あれこれ」は早いものでもう100回になってしまいました。
まだもう少し続けてみようと思います。ご笑読ください。

2017年ももう4分の3が過ぎて、秋になってしまいました。そしてまた10月28日、世界同時開催の食の祭典「エピクロスの晩餐会」の季節になりました。近代フランス料理の創始者オーギュスト・エスコフィエの生誕を記念して、その弟子たちで作るエスコフィエ協会が世界各地のレストランで同時に同じメニューを提供するのです。今年のテーマは2010年及び2013年に続いてもうお馴染みになったプーロ・ポPoule au pot=雌鶏の土鍋煮込み。日本語では鶏肉の種類を言う時には頭にそれぞれ雄、雌、若、ひな、と付けるだけですが、英語やフランス語では、みんな別の名前があります。いわく、poulet 若鳥、poussin ひな鳥、poule 雌鶏、coq 雄鶏、poularde 肥鶏。ローストにするとジューシーで香ばしい若鶏、家畜としての役割を終えた老雄鶏や老雌鶏の柔らかくて味の強い煮込みなど牛と同様多くの料理に利用されます。pouleは雌鶏ですから、本来の役割は産卵です。卵をあまり産まなくなると潰して煮込みにします。ちなみに老雄鶏はよく赤ワインで煮てココ・ヴァンcoq au vinという料理などになります。

さて、今回のpoule au pot 雌鶏の土鍋煮の中でも一番有名なアンリ4世風Poule au pot Henri IV のレシピを見てみましょう。まず下処理した雌鶏の腹に細かく挽いたレバー、砂肝、フォワ・グラを詰めて腹を縫って閉じ、皮面をフライパンできつね色に焼き色を付けます。鶏のブイヨンににんじん、玉ねぎ、蕪、ポロねぎを加えて沸騰しないくらいの弱火で長い時間煮ます。煮汁で米を炊いて付け合わせとします。ソースは、やはり煮汁をルウでつないで濃い生クリームを加えてソース・シュプレームを作ります。

(面白い写真を載せているサイトを見つけました、ご参考まで
http://www.julienbinz.com/La-poule-au-pot-par-Daniel-Zenner_a3905.html

この料理はフランス国王アンリ4世(1553-1610)がとても好んだことで知られています。良き王と呼ばれたこの王は、「もし私がもっと長生きできるのなら休日を設けて皆がこの料理を食べられるようにしたい。」と言ったということです。宮廷や革命後の高級レストランで愛されたこの料理は、大皿の真ん中に鶏を盛り付け、周りに野菜を付け合わせてサーヴィス係がカッティングサーヴィスをするのですが、今では、その技術も手間もありませんから、料理のコンセプトを大切にしながらも、各料理長がきっと上手に皿盛り料理に仕上げることでしょう。今から大いに楽しみにしています。

日仏料理協会
宇田川政喜

「食のフランス研修」レポート 2017年2月~5月

帝国ホテル東京 スーシェフ  笠原 裕也 さん
研修期間 2017年  2月 27日 ~ 5月 12日
研修店名:  Hotel Ritz Paris, Restaurant & Bar à vins Le Boudoir

帝国ホテル東京 アシスタントシェフ  松尾 直幹 さん
研修期間 2015年  2月 27日 ~ 5月 12日
研修店名:  Hotel Gorge V, Restaurant Le Cinq

笠原さん、松尾さんはご一緒に成田からインチョン経由パリへご出発。パリ到着後はすぐ宿舎でもあるホテルへ。そして、スタッフからの電話で安心なさったとのことでした。

研修目的:
笠原さんはフランスの文化とフランス料理の原点に触れること。
松尾さんはフランスの雰囲気、流行り、料理に対する姿勢を感じたいということでした。

Q. 研修先に行ったときの第一印象はどうでしたか?
R. 笠原さん:とてもきれいで最新の調理器具がそろっているなと感じました。
  松尾さん:すごく綺麗で設備が整っていて、スタッフが多く若いと思いました。
Q. 研修先ではお二人とも馴染むのには数日かかったようですね。
 最初に与えられた仕事は何でしたか? その後は?
R. 笠原さん:ソシエのスタッフの補助で食材の下処理や簡単な火入れと肉や魚のポーションカットなどです。
  松尾さん:ヴィアンドの仕込みを1ヶ月くらいやりました。その後ヴィアンドのオーダー対応を、そしてソシエの仕事をさせてもらい、満足でした。
  笠原さん:私は納得のいかない仕事にはnon と言い、オーダーに即した火入れや盛り付けなどやりたい仕事をさせてもらいました。
Q. 厨房のフランス人スタッフの仕事ぶりを見てどう思いましたか?
R  松尾さん:自分の担当ポジションの仕事が時間内に終わらない時は休憩時間を削っても働いていました。チームワークがよく、必ずしも担当セクションにとらわれず流動的に動いていました。
George V-1

Q. フランス語に関してどうでしたか?
R. 笠原さん:言われたフランス語を頭の中で理解するのに時間がかかり、素早い判断ができずに困りました。  
  松尾さん:最低限の会話はなんとかわかりましたが、やはり普段の会話のスピードについてゆくのは難しかったです。
Q. 辛かったことはありましたか?
R.  笠原さん:つらいと思ったことは特にありませんでした。
  松尾さん:つらいというわけではありませんが、フランス語が分からない時、相手が時間をかけて説明してくれるので、彼らの時間を割いてしまったのが申し訳なかったです。
Q. うれしかったことは何ですか?
R.  笠原さん:丁寧に行った仕事を喜んでくれたことです。魚や肉、ガルニチュールの出来を褒められると日本での仕事を褒められているようで、うれしかったです。
  松尾さん:「研修生の受け入れだったけど、普通のスタッフとして仕事をしてくれてありがとう」と言ってもらえたことです。
Q. 厨房で日本と違うな、と思ったことは何ですか?
R. 松尾さん:掃除がしやすいこと、はさみなどの道具は個人所有であるところ。
  笠原さん:食材の端材を賄いで使えば無駄にならないという考え方です。日本でも同じことをしているように思えますが、残り物だけでなく賄い用に食材を仕入れているので結果的には食材を捨てていることになっていると思いました。
Q. 今回のお二人の研修中、シャンゼリゼ通りのテロ事件があり心配でしたね。その他の生活面で日本と違うと思ったことはなにかありましたか?
R. 松尾さん:治安の面で常に気を張っている感じでした。普段は家族との時間をとても大切にしていると思います。また、生活をしているだけで芸術的なことに触れる機会が多くあり、刺激があります。
  笠原さん:一方で、公衆衛生が行き届いておらず、駅や裏道では鼻をつく臭いやゴミが多くみられたことは東京とは違うと思いました。
Q. フランス研修を終えて一番良かったと思ったことは何ですか?
R.  笠原さん:現地でしか出会えない新鮮な食材に触れられたこと。輸送に時間がかかる日本ではフォワ・グラを生で食べることはできません。また、フランスの生の魚の内臓をソースとして出してきた驚きは日本では味わえなかった。
  松尾さん:日本の仕事の仕方との違いを見ることができたこと。ソースの作り方は食材の管理に加え、シェフの立ち位置なども勉強になりました。
Q  思わぬ発見はありましたか?
R. 笠原さん:いろいろレストランを回りましたが、良いレストランというのは「星の数」ではないのだな、と思いました。
  松尾さん:色々な国の食材がフランス料理に取り込まれていること、プレゼンの皿に見たこともない様なものが多くありました。 フランス在住の日本人料理人の方と知り合い様々な情報を得ることもできました。
Ritz

Q. これからフランスへ行こうとしている方たちへのアドバイスなどありますか?
R.  松尾さん:もっとフランス語を勉強しておけばよかったです。
  笠原さん:同感です。言葉の勉強はしっかりしてゆくべきだと思いました。
Q. 他には?
R. 笠原さん:行ってみないとわからないこと、出会えないことが絶対にあります。日本国内だけでは「単なる知ったかぶり」になってしまう可能性があります。
  松尾さん:自分からみんなの中へ入って行かないと距離が縮まらないので、仕事をするうえでもコミュニケーション力がとても大切です。だからやっぱりフランス語の勉強をしておくべきです。

お二人ともまたすぐにでもフランスへ行きたい、とのことでした。

ご協力をありがとうございました。

デミグラスソース

前回お話ししたようにフランスでも日本でも料理からソースがなくなりかけてピュレなどになりつつあります。
オーギュスト・エスコフィエは19世紀後半から料理の近代化を進め、それまでの複雑なものから簡素化を行いました。宮廷料理がレストラン料理に変化していった時代の必然だったのです。
その時代に様々なソースの基となったのがソース・ドゥミグラスsauce demi-glaceです。肉料理用の茶色いソースとしてソース・エスパニョールがあります。オーヴンでよく焼いた仔牛の骨と玉ねぎ、にんじんといった香味野菜やトマトピュレ、ルウなどを加えてフォン・ド・ヴォで長時間煮て濾して作ります。これを更に煮詰めるとその濃さによってグラスglace、ドゥミ・グラスdemi-glaceとなります。魚用のソース・エスパニョールやドゥミ・グラスもありました。一度作っておけばいろいろな香りや味を加えて様々な派生ソースが作れたからとても重宝したのです。

1970年代にヌーヴェル・キュイジーヌが台頭するまで100年以上も栄えていたソース・ドゥミ・グラス。フランスでは今や見る影もありません。然るに日本ではどっこい立派に生きています。ただしフランス料理の世界ではなく、明治時代以来西洋料理から始まって、日本で独自に発展した“洋食”の世界にです。この世界ではデミグラス、乃至ドミグラスと呼ぶことが多いように思えます。エスコフィエのドゥミ・グラスとは違って白いご飯を食べるためのおかずにかけるソースですから作り方は似ていても仕上げに用いる材料はトマトケチャップやウースターソース、中には醤油を使う人もいます。
もちろん洋食の世界でも経営の合理化は必然となっているので、かつてのように1週間かけた、いや、2週間だ、うちは3日だけですよ、ということはなくなってきているようです。先日も3週間かけて作る、と言っていた横浜の洋食屋のドミグスはいつの間にか変わり果てた有様になっていました。若い頃に覚えた美味ではない、と言って嘆くのは簡単ですが、時間をかけて作った料理にそれに見合う十分なお金を払う客があまりいない以上、料理を変えるしかないのです。日本の食の事情に合わせて独自に発展した洋食も立派な食文化ではないでしょうか。

フランスでもスーパーマーケットのレトルトや冷凍食品の売り場にいわゆる家庭料理や郷土料理のパックが並んでいます。どの国の食品メーカーも懐かしさとおいしさを想い起こすことのできるソウルフードの開発に余念がありません。でもやはりドゥミ・グラスは少なくとも3日かける方が断然おいしい。いよいよ食堂でありつけなくなったら自分で作るしかありません。

日仏料理協会
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