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エピクロスの晩餐会 その2

10月28日は“エピクロスの晩餐会”の日です。 ニースを本拠地とするエスコフィエ協会 Ordre International des Disciples d’Auguste Escoffier の呼びかけで世界の多くの都市のレストランでいっせいに同じ料理を提供しました。
私が経営する横浜の新店、ブラスリ・リパイユ元町 でも今年のテーマである プーロ・ポ pooule au pot を食べました。メニューは:

 甲州健味鶏のコンソメ
Bouillon de volaille
甲州健味鶏のコンソメ

 三崎まぐろと帆立貝のタルタル シュミネ仕立て
Tartare de thon et de saint jacques en cheminée
PA280233.jpg
 
 プーロ・ポ ブルボネ風
 Poule au pot à la bourbonnaise
PA280234.jpg
 
 りんごで包んだヴァニラのアイスクリーム
 Glace à la vanille habillée de pomme
りんごで包んだヴァニラのアイスクリーム

コーヒーまたは紅茶
Café ou thé
コーヒー

メインディッシュの鶏料理はエスコフィエ著のle Guide culinaire(=料理手引書)では丸ごとの鶏にフォワ・グラ風味の詰め物をしてにんじんやかぶなどの野菜と共に弱火で煮込む料理ですが、わがブラスリでは鶏手羽の骨を除いたところに詰め物をしてつくりました。そして煮汁のブイヨンを清澄してコンソメにもしました。この日のすばらしいメニューはわが友で日本エスコフィエ協会国際担当理事の村山進さんの指導のおかげです。フランスで20年もの間グランド・キュイジーヌに従事し、色々なコンクールで優秀な成績を残し、エスコフィエ国際コンクールでの優勝もしている偉大なる料理長ならではのブラスリ料理でした。

Merci beaucoup, mon cher Susumu

日仏料理協会
宇田川政喜
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偽装と誤表記

近頃あるホテルチェーンでのメニュー表記が問題になっています。
安い海老を 車海老 と書いたり自前で作っていないパンを 自家製パン といったり多くの料理に偽りがあったそうです。ホテル側が認めているのだからそうなのでしょう。
でもこれを誤表記である、といってはいけません。“誤表記”と言うのはよく目にするミススペルなどの誤字や印刷上の誤植のことです。まともなホテルではたとえフランス語の誤表記でもそれを避けるためにとても努力しています。
今話題になっているのはこのホテルチェーンの行為を誤表記というのか偽装なのか、と言う点です。新明解国語辞典で“偽装”を調べると、「ほかのものとまぎらわしくして、敵の目をごまかすこと」となっています。戦争中に大砲を積んだ戦闘艦を病院船や貨物船のようにみせかけて敵をだますことです。戦争中ではないし、軍艦でもないけれど、“敵”を“客”に置き換えればそのままの意味になります。
私にとって大切なのは関係者の中の料理人たちのことです。近年グルメ投稿サイトでよく目にするように、巷ではあの店はこの料理がうまいのまずいのとかまびすしいのですが、修行の過程で料理人ほど食経験を重ねている人たちはいません。彼らが世の中で一番客観的な舌を持っていると思っています。そのホテルチェーンの料理人、つまり究極の美食家たちはどうしていたのでしょう。
料理人は、“俺たちは就職はしたが,就社はしていない”といいます。特に街場の料理人は自分の技術と見識を高めるために若いうちにどんどん店を移ります。ですからオーナーが食材のことなどで何を言っても容易に意見を変えません。しかしホテルではその傾向が少なくてやはり他の業種と同様に“就社”して会社が大事の会社人間になっている人もいます。だからといって、現場の習熟度が足りない、などと会社の上層部に言われては黙っていられないでしょう。
今まで何度も料理コンクールで優勝者を出しているホテルグループの料理人たちが今回の事件をどう捉え、どう対処していくのが見守りたいと思っています。

日仏料理協会
宇田川政喜

エピクロスとエスコフィエ

エピクロスは古代ギリシアの哲学者(B.C.341~270)です。精神的快楽主義を説き、エピクロス学派の始祖となりました。しかし後世、ローマの詩人ホラティウスが自分を含めたこの学派の学者たちを放蕩者扱いしたところから意味に誤解が生じ、現代に至るまで英語でもフランス語でもエピキュリアンを“快楽主義者”としています。

エピクロスは“苦痛を伴わないで喜びを得ること、喜びのない苦痛を避けること、より大きな喜びを禁じる喜びや喜びより苦痛をもたらす喜びを避けること、より大きな苦痛から解放する苦痛や大きな喜びをもたらす苦痛を得ること、このために最大限の努力をするべきである”、と主張しました。
フランス料理の始祖オーギュスト・エスコフィエは 、“料理をつくること、飲食をすること、飲食に関する考えをめぐらせたり知識を求めること”をガストロノミの本質としており、エピクロス派の本来の哲学をガストロノミの支柱のひとつとしていました。

1912年ロンドンのホテル・カールトンでエスコフィエはイギリスでのフランス料理の評判を一層高めるためにエピクロスのディナーdîner d’Epicureと称する晩餐会を始め、第一次世界大戦前の1914年には世界の147都市で一万人以上の客を集めてこのディナーを同時開催しました。

2006年、“エスコフィエの弟子の会Disciples Auguste Escoffier”が師の生誕100年を記念して世界同時にエピクロスのディナーを展開し、多くの客を集めました。
毎年行なわれていますが、この会の日本会員の有志が今年も参加しています。今年のテーマは“フォワ・グラを詰めた鶏の壺煮poule au pot”です。

日本はもちろんのこと、フランスでももはやエスコフィエの時代の料理は提供されなくなっています。この機会を利用して古きよき時代を訪ねてはいかが。

日仏料理協会
宇田川政喜

エピクロスの晩餐会

10月28日月曜日に世界のレストランでいっせいに同じメニューで晩餐会が開催されます。
近代フランス料理の始祖といわれるオーギュスト・エスコフィエ生誕を記念してその弟子たちが集うエスコフィエ協会主催でパリ、ニース、ロンドン、ニューヨーク、東京、北京など世界中の料理長がエスコフィエの同じ献立の料理をつくるのです。

1846年10月28日ニース近郊のヴィルヌーヴ・ルーべ村に生まれたオーギュスト・エスコフィエはニースでの料理修行の後、パリそしてロンドンで料理人として大成功をしました。料理を通じてフランスに多大なる貢献をしたとしてレジョン・ドヌール勲章を授与され、晩年にはle Guide culinaire(=調理指南書)という1000ページにも及ぶフランス料理の技術指導書を仲間と共に書き上げました。1938年2月12日に亡くなってからもその弟子たちの活動は衰えることがなく、弟子の一人であるジョゼフ・ドノンの寄付による財団と料理ミュジアムの創立、弟子の会としての社団法人の設立と続きます。

現在そのフランス社団法人は“Disciples Escoffier(=エスコフィエの弟子たち)”と呼ぶ協会のもと世界中に存在し、もちろん日本でも“社団法人日本エスコフィエ協会”の名のもとに活動をしています。
Fondation Auguste Escoffier
Disciples Auguste Escoffier
日本エスコフィエ協会

この協会の音頭で今年はPoule au pot(=鶏の壺煮込み)をメインディッシュとして展開します。本来はフォワ・グラやトリュフを加えた鶏レバーや砂肝のファルスを雌鶏の腹に詰めて鶏のブイヨンでゆっくり煮込むのですが、ももや手羽に詰めてもいいのです。
丸鶏で調理するとサーヴィス時に技術が必要になります。昔の切り分け技術を持ったサーヴィス員のいるレストランしか提供できません。日本ではホテルオークラ東京と静岡県森町のレストラン三鞍の山荘、それに横浜のブラスリ・リパイユ元町がチャレンジします。

※ ホテルオークラ: ラ・ベル・エポックオーキッドルーム
三鞍の山荘
リパイユ元町

この機会に古き時代の料理を世界の人たちと同時に味わってみませんか。

日仏料理協会
宇田川政喜

マルセイユ その3

学生の頃マルセイユ北30キロほどのエクサン・プロヴァンスという町に居ました。その頃はまだドルもフランも固定レートで、1フラン当たり75円もしたので一食あたり1.25フランの学生食堂での食事も高く感じられました。それでも昼は食堂でいろいろな定食をとったものでその中でもクスクスは私の好物でした。クールジェット、セロリ、ピーマン、かぶ、にんじん、玉ねぎなどの野菜を羊の肉と煮込んだものを蒸した粗挽き硬質小麦にかけて食べるのです。唐辛子とオリーヴオイルなどで作ったアリサというペーストを加えます。日本ではほとんど食べたことがなかった羊の香りにとても引きつけられてすっかりファンになってしまった私はたまの休みにカンヌ・ビエール大通りの裏に当たるアラブ人街で本場ものを味わうのが無常の悦びでした。

クスクスはモロッコ、アルジェリア、テュニジアといったマグレブ地方の郷土料理です。
米のようにただ煮ただけでは硬くて食べられない小麦をパンなどの材料にするようには粉にせず、粗挽きにして専用の蒸し器で蒸してはほぐし、蒸してはほぐすことを何回も繰り返して用意します。
今では湯を加えるだけで食べられるような商品ができていますが、マグレブ人はやはり蒸してつくる方が圧倒的においしいと言います。

マルセイユには当時も今も多くのマグレブ人が住んでいます。旧植民地だったアルジェリア人を筆頭にフランス人引き揚げ者も含めるととても多くの北アフリカ出身者が異国情緒を醸していましたが、地元のフランス人たちは治安の悪化を憂いていました。今でもパリ・モンマルトルの丘の下などで街の治安に言及するガイドブックの記述でお分かりかと思います。私は独立運動にとても共感していたので好んでマルセイユのアラブ人街に出かけたのでした。
マルセイユから地中海を渡ればアルジェリア、その思いがその数年後のアルジェリア滞在の実現に手を貸したことはまちがいありません。そしてその時クスクスをはじめとするアルジェリア料理や菓子を思う存分楽しんだことはいうに及びません。

日仏料理協会
宇田川政喜
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