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フランス料理とはなにか Ⅲ

2回にわたって、フランスとは何かについてざっと見てみましたが、今回はいよいそのフランスの料理について見てみましょう。

フランス料理の定義は広義と狭義、ふたつあります。どちらにも言えることは、中国料理などに比べて低温調理だ、ということです。
① 広義:
フランスでフランス人が食べている料理です。これは「フランス料理とはなにかⅠ」で書いた和食と同じです。和食に天ぷらやとんかつ、カレーが和食に入るように北アフリカのクスクスやイギリスのステーキもフランス料理になります。
現代のフランスでは前菜、メインディッシュ、デザートで構成されることが多く、食前にオリーヴやナッツを食前酒と共に楽しむこともあります。家庭に人を招待してもブラスリやビストロで食べてもほぼこの構成です。アラブ系のクスクス料理店や中華料理店でも同じようなものです。改まって人と物を食べる時、フランス人はパスタやどんぶりといった一品料理で終わりにはしません。また必ず最後にコーヒーを飲みます。
料理の内容は、と言えばフランスの料理というよりフランスの各地方の地元の食材を使った料理の発展形が現代のフランスで食べられています。アルザス地方のシュークルート、リヨン地方のクネル、ブルゴーニュ地方のブフ・ブルギニョン、ラング・ドック地方のカスレなどがスーパーのレトルト食品売り場に並んでいます。これらを主菜としてその前にやはりシャルキュトリやスーパーで売っているテリーヌやポタージュ、サラダを前菜とし、食後にケーキやタルトを食べます。レストランでもほぼこのようなものです。

② 狭義:
日本人の多くが漠然と持っているイメージとしての料理、つまり宮廷の流れを汲んだ超高級西洋料理“ガストロノミ・フランセーズ”です。
- 世界中から集められる上質な食材とそれらを適切に調理する優秀な料理人
- 食前酒と共に供される軽いつまみ的なアミューズ・ブーシュから始まりコーヒーに添えられる小菓子であるミニャルディーズまでを交響曲のように起承転結で構成するコース料理
- 一皿ごとに構成される付け合せやソースとのバランスと色彩の調和
- 各料理に合わせたワインの選択
- 正装して料理を客に適切に供するサーヴィス係
- きれいにアイロン掛けされたテーブルクロスと卓上の花、美しく磨かれた銀食器
- 料理や客をより美しく見せる室内装飾や照明
専属の料理人やサーヴィス係がいる豪華な邸宅以外ではおそらくレストランでしか体験できない上記のような設定が狭義のフランス料理です。21世紀の現代フランスガストロノミではスチームコンヴェクションオーヴンを使っての低温調理で簡単には手に入らない高級な食材の調理が主流です。かつてフランス料理を特徴付けていたソースの重要度が下がり、代わりにオリーヴオイルや醤油、オイスターソースなどを用いる料理人も増えました。

幸いにも今の日本では広義、狭義、どちらのフランス料理も楽しむことができます。
この項をフランス料理とは何か、を考えるきっかけにしていただけたら幸いです。

日仏料理協会
宇田川政喜
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フランス料理とはなにか Ⅱ

前回は「和食とは何か」「フランスとは何か」の「“フランス”の始まり」について触れました。今回は中世以降のフランスの変遷についてです。ここ触れないと今日のフランスがよく見えてきません。

ではこの時代から現代にどんな料理が受け継がれているのでしょう。ケルト人の食文化は他の文化同様ほぼ何も残っていません。この人たちはゲルマン人と同様に金髪で肌か白い人たちだ、という記述がローマ人によって残されています。彼らはビールを作って飲んでいたこともわかっています。ただ現代のフランスのビールの源は1870年起き、フランス敗北によって終わったフランスとプロシア(=現代ドイツの一部)の戦争の後、流行したものです。また、牡蠣の養殖やワイン作り、フォワ・グラの生産はローマ人がもたらしました。豚の飼育やハムやソーセージといった豚肉加工技術は“森の人”であるゲルマン人のものです。
※ 参照:『フランス 食の事典』(白水社刊)の“ガリア”、“フランク王国”

フランスの王や貴族に最も大きな影響を与えたのが15世紀のルネサンス期にイタリアからもたらされた食材、機材、料理です。イタリアは西ローマ帝国が消えてしまってからもその地理的優位さ、つまりその当時の文明最先端地域であった東地中海地方の影響下にあり、東ローマ帝国(=ビザンチン帝国)やそれを滅ぼしたイスラム教のトルコ、もっと東のペルシアからも最新情報や物資がどんどん流入していました。当時の低開発地域であったフランスの王たちも負けじと軍隊をイタリアに送ったりして素晴らしいものにありつこうとしていました。フランソワ1世は晩年のレオナルド・ダヴィンチを招待してロワール地方のブロワに住まわせ、一緒に料理を作ったりしていました。蛇足ですが、その時ダヴィンチがイタリアから抱えてきたのが今ルーヴル美術館にある「モナリザ」です。なかでもアンリ2世に嫁入りしたトスカーナのカトリーヌ・ド・メディシスは大勢の料理人やパティシエと共にフランスにやって来てそれまでフランス人が見たことのないような料理や菓子を作らせ、田舎者のフランス貴族たちを驚かせたということです。
ほぼ同じ時代、1492年にアメリカに到達した人たちが持って返って来たのはマヤやインカの金銀だけではなく、じゃが芋、唐辛子、トマトなどの産物です。これらがヨーロッパで料理に用いられるのはもっと時代を経てからですが、料理の世界を大きく変えた出来事と言えるでしょう。イタリアやスペイン料理にトマトがなければ、ドイツにじゃが芋がなければ、韓国料理から唐辛子を失くしたら… 想像できませんね。それほどの出来事だったのです。
※ 参照:『フランス 食の事典』(白水社刊)“ルネサンス”

次回はいよいよ「フランス料理の定義について」です。

日仏料理協会
宇田川政喜

フランス料理とはなにか Ⅰ

「フランス料理って…」よく耳にしますね。実はそれを口にする人によって意味する、または意図するところが異なることが多いように思えます。たまにはじっくり考えてみることにしましょう。フランス料理とはフランスの料理なのでしょうか。そして“フランス”は何を意味しているのでしょうか。

このテーマを考える前に和食とは何か、を考えてみましょう。

日本ではフランス料理、イタリア料理というくせに日本料理とあまり呼ばず、何故か和食と言います。外国の言葉を学校で習う時に、アメリカではEnglish英語、フランスではfrancaisフランス語、といっているのに日本では日本語の授業とは呼ばずに国語というのに似ています。

安土桃山時代にポルトガル人やスペイン人によって伝えられた天ぷらやカステラは言うに及ばず、江戸末期に始まったすき焼き、明治時代に食べ始めたとんかつ、カレー、もっと新しいラーメンや餃子も“和食”の範疇に入れているとのことです。となるとイタリアからフランスへ比較的最近伝わったピザや北アフリカからやってきたクスクスも日本的に解釈するならフランス料理なのでしょうか。

もうひとつ。料理を語る前にフランスとは何か、です。現代の先進国ように国境がほぼ確定している時代にいるとわかりやすいのですが、第二次世界大戦以前の世界で国家の境界をはっきり画定するのは簡単ではありません。

現代に続く系譜としてクロマニョン人がフランスにいたことは考古学的にわかっています。その後紀元前900年頃からフィン族などに追われたケルト人の部族が多くフランスに移住し、定住を始めます。その頃文明がとても進んでいたイタリアやギリシアではこの地をガリアと称していました。

紀元前58年に共和制のローマからカエサル(=シーザー)がこの地を植民地にするために遠征を行ないました。ケルト人は抵抗しましたが、部族単位でしか行動できなかったし、圧倒的な文明力の差でケルト人は破れ、それ以降社会的な仕組み、宗教、文化、言語などすべてローマ化していきます。フランスではこれらのケルト人を“ガリア人gaulois”と呼び自分達の祖先だと思っている人が大勢いますが、現代のフランスにはガリアの名残りは数少ない人名や地名のみとなっています。

5世紀の中頃に西ローマ皇帝が死ぬと帝位が空白となり、ローマ帝国は溶けてしまったように消え去ります。原因のひとつとして長く続くゲルマン人たちの西ローマ帝国への進入が挙げられます。ガリア(フランス)でも同様でした。ゲルマン人もかつてのケルト人と同じく部族単位で行動しましたが、すでにローマの文明を身に付けたキリスト教徒になっていました。いくつかの部族のうちフランク族がガリアに侵入し、なかでもベルギー辺りに侵入して治めていた1部族の長クローヴィスが5世紀終わり頃にほぼ現代のフランス全土に領地を広げました。この頃フランク人の地としてフランスという地名が定着したのです。

少し長くなりましたが、“フランス”の始まりはこんなところです。その後もフランスはその国境を大きく広げたり縮めたりしながら今日に至っています。

次回「フランス料理とはなにかⅡ」に続きます。

日仏料理協会
宇田川 政喜
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