ソース
いつの頃からか、多分、皿の中がやけに絵画的で色とりどりになってきた2000年以降だと思いますが、特に魚料理からソースが消え始めました。初めのうちは、フュメ・ド・ポワソンをベースにしたソースに飽き足りなくなった天才料理人たちが野菜のピュレや銘柄品のオリーヴオイルなどを主食材に合わせているように見えました。
今ではその現象が肉料理にまで拡がり、たとえソースはかかっていてももはやベースは自前のフォンではなく市販品を使っていることがとても多くなりました。
フランス料理の神髄はソースである、と高らかに宣言した時代は遠くに去ってしまいました。
煮込み料理の煮汁を利用して作ったソースが発展を重ね、丁寧に煮詰めて仕上げたドゥミ・グラス全盛時代からその前段階のフォン・ド・ヴォを用いて、“軽く仕上げる”ことを基本に考えるようになったのが、1970年代に興ったヌーヴェル・キュイジーヌの特徴でした。これは、大皿料理から皿盛り料理へと変わっていったことと並んで大きな変化でした。その当時私は、みんなが言うように「より軽い味の方が好まれる時代になったのだなあ」と思っていましたが、本当のことを言うともっと経済的な理由、つまりとても注意と時間と光熱費のかかるドゥミ・グラスは作れなくなってきていたのでした。後発のはねっ返りの若い料理人たちが思いつきでおかしな料理を提供し始めてヌーヴェル・キュイジーヌは色あせてしまいまいました。それでもレストランが直面する経営的な問題は解決しなくてはならず、その後もどんどん効率のいい調理機材や食材が開発さえました。現在世に見る新しい傾向もまさしくこの経済的な問題が背後にあることによって生まれているのです。
19世紀後半のエスコフィエの時代の燃料は石炭で、ガスや電気のようにスイッチを切らなくても夜の間に余熱で煮込み料理などができてしまいました。そのうえ若い見習いに屋根裏部屋とまかない料理、それにほんのわずかな小遣いを与えれば盆暮れの休み以外はこき使っていた時代でした。ところが今や、最低賃金月額1450ユーロ(約17万円)で週35時間労働、年次有給休暇4週間という現代と同じ仕事ができるわけがないのです。
よく耳にするように“料理は食材の善し悪しで決まる”のなら職人の卓越した技術は色褪せたものになってしまいます。最良の食材を選ぶのは当たり前のこと、それを如何に調理するかがガストロノミの神髄なのです。それが食材の話ばかりが大手を振ってまかり通るとなると、職人は食材選択人になってしまいます。
とはいうものの販売管理費に占める労務費の増大に対応するには、到達するのにとても時間のかかる卓越した技術や手間をどう切り詰めるか、を追求するしかありません。もっとも19世紀のパリのレストランのように客が一人前何十万も払えば実現できるのですが。
そういったわけでかつてのようにおいしいソースを賞味するのはむずかしくなってきました。やはり現代ではなんちゃってソースで我慢するか、高額の支払いを覚悟するか、自分で作るか、しかないのではないのかもしれません。
日仏料理協会
今ではその現象が肉料理にまで拡がり、たとえソースはかかっていてももはやベースは自前のフォンではなく市販品を使っていることがとても多くなりました。
フランス料理の神髄はソースである、と高らかに宣言した時代は遠くに去ってしまいました。
煮込み料理の煮汁を利用して作ったソースが発展を重ね、丁寧に煮詰めて仕上げたドゥミ・グラス全盛時代からその前段階のフォン・ド・ヴォを用いて、“軽く仕上げる”ことを基本に考えるようになったのが、1970年代に興ったヌーヴェル・キュイジーヌの特徴でした。これは、大皿料理から皿盛り料理へと変わっていったことと並んで大きな変化でした。その当時私は、みんなが言うように「より軽い味の方が好まれる時代になったのだなあ」と思っていましたが、本当のことを言うともっと経済的な理由、つまりとても注意と時間と光熱費のかかるドゥミ・グラスは作れなくなってきていたのでした。後発のはねっ返りの若い料理人たちが思いつきでおかしな料理を提供し始めてヌーヴェル・キュイジーヌは色あせてしまいまいました。それでもレストランが直面する経営的な問題は解決しなくてはならず、その後もどんどん効率のいい調理機材や食材が開発さえました。現在世に見る新しい傾向もまさしくこの経済的な問題が背後にあることによって生まれているのです。
19世紀後半のエスコフィエの時代の燃料は石炭で、ガスや電気のようにスイッチを切らなくても夜の間に余熱で煮込み料理などができてしまいました。そのうえ若い見習いに屋根裏部屋とまかない料理、それにほんのわずかな小遣いを与えれば盆暮れの休み以外はこき使っていた時代でした。ところが今や、最低賃金月額1450ユーロ(約17万円)で週35時間労働、年次有給休暇4週間という現代と同じ仕事ができるわけがないのです。
よく耳にするように“料理は食材の善し悪しで決まる”のなら職人の卓越した技術は色褪せたものになってしまいます。最良の食材を選ぶのは当たり前のこと、それを如何に調理するかがガストロノミの神髄なのです。それが食材の話ばかりが大手を振ってまかり通るとなると、職人は食材選択人になってしまいます。
とはいうものの販売管理費に占める労務費の増大に対応するには、到達するのにとても時間のかかる卓越した技術や手間をどう切り詰めるか、を追求するしかありません。もっとも19世紀のパリのレストランのように客が一人前何十万も払えば実現できるのですが。
そういったわけでかつてのようにおいしいソースを賞味するのはむずかしくなってきました。やはり現代ではなんちゃってソースで我慢するか、高額の支払いを覚悟するか、自分で作るか、しかないのではないのかもしれません。
日仏料理協会
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