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フランス料理の来し方行く末 その1

今、フランス料理の勢いは、悪くありません。
最近の金融危機で、一時的に客足が遠のいても、いつのまにか人気店の席は埋まっています。
パリでも、東京でも、たいへんだったニューヨークでさえもその傾向があると、聞いています。

ここでいうフランス料理とは、グランド・キュイジーヌ=高級フレンチのことです。
このレヴェルの料理は、家庭でつくって家族で楽しむ、といったものではありません。

1970年になると、フランスに革新的な料理批評家が現れます。アンリ・ゴと
クリスティヤン・ミヨです。 フランスの保守的な批評家たちから批判されていたふたりが、
アメリカで紹介されて好評を得ると、フランスでも人気となります。
“重い伝統料理から軽い新料理へ”のフレーズとともに「ゴ・ミヨ」の視点で見た新料理、
つまりヌーヴェル・キュイジーヌが、世界を席巻します。 しかしこの転換は、ふたりの
料理批評家の先見性だけにあるのではありません。 彼らの時代を見る目には
敬意を表しますが、グランド・キュイジーヌは、先ほど述べたようにそれをつくり、
提供するプロがいなければ成立しません。 ボキューズ、トロワ・グロ、ウーティエ、
ロジェ・ヴェルジェら、レストラン「ピラミッド」の料理長フェルナン・ポワンの下から
巣立った料理人たちが、またドラヴェーヌから学んだジョエル・ロビュションがつくり上げたのです。
この時期、多くの厨房で調理の熱源が石炭からガスや電気に変わっています。
仕事が終わって料理人たちが厨房から引き上げてもまだまだ熱い石炭オーヴンで、
いわば光熱費ゼロでつくれたドミグラスや煮込み料理が、同じようにはできなくなりました。
つまり、ドミグラスをつくる前の段階で仕込みを終えて、それをソースの基とする、
というように仕事の簡素化が行われたのです。 この時、小麦粉やでんぷんでソースの
濃度を高めるのではなく、フォンを煮詰めることで食材にしっかりとからむソースを考案したことも
“軽い”と言われる要素のひとつになったのでしょう。

20世紀の終わり、ヌーヴェル・キュイジーヌもいつのまにやらヌーヴェル(=新しい)とは
感じられなくなった頃、また完璧な料理を提供していたジョエル・ロビュションがグランド・
キュイジーヌから距離を置くようになった頃、天才アラン・サンドランスがミシュラン三ツ星の
辞退を宣言した頃、アラン・デュカスが時代に即したグランド・キュイジーヌで世界に
旋風を巻き起こします。 厳選された新鮮な食材が活きるように単純に火を入れ、
これまたフランス料理界では知られていない香辛料や香料、油などにソースと同じくらいの
重要さを与えました。

この現代料理の背景には、EUの影響がみられます。基準を満たしていないレストラン厨房
での製品もしくは半製品の冷凍の禁止、つくってから24時間以上経過した料理の廃棄
(法の定めどおりのプロセスでつくったた真空パック品は、1週間の保存まで可能)、
といった食品衛生法に関することや、週35時間労働(年次有給休暇5週間を選択した事業所
においては週39時間労働も可)といった労働法の改正により、伝統料理はおろか、
ヌーヴェル・キュイジーヌのルセットによる料理さえつくれなくなりつつある、ということが
影響しているのでしょう。

これらのEU規準の前には、グランド・キュイジーヌのみならず、手造りの農場チーズや
未殺菌牛乳でつくるバターなどの製造も風前の灯といいます。5年後、10年後のフランス
ガストロノミの世界は、どうなっているのでしょうか。

日仏料理協会
宇田川 政喜
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