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フランス料理とはなにか Ⅰ

「フランス料理って…」よく耳にしますね。実はそれを口にする人によって意味する、または意図するところが異なることが多いように思えます。たまにはじっくり考えてみることにしましょう。フランス料理とはフランスの料理なのでしょうか。そして“フランス”は何を意味しているのでしょうか。

このテーマを考える前に和食とは何か、を考えてみましょう。

日本ではフランス料理、イタリア料理というくせに日本料理とあまり呼ばず、何故か和食と言います。外国の言葉を学校で習う時に、アメリカではEnglish英語、フランスではfrancaisフランス語、といっているのに日本では日本語の授業とは呼ばずに国語というのに似ています。

安土桃山時代にポルトガル人やスペイン人によって伝えられた天ぷらやカステラは言うに及ばず、江戸末期に始まったすき焼き、明治時代に食べ始めたとんかつ、カレー、もっと新しいラーメンや餃子も“和食”の範疇に入れているとのことです。となるとイタリアからフランスへ比較的最近伝わったピザや北アフリカからやってきたクスクスも日本的に解釈するならフランス料理なのでしょうか。

もうひとつ。料理を語る前にフランスとは何か、です。現代の先進国ように国境がほぼ確定している時代にいるとわかりやすいのですが、第二次世界大戦以前の世界で国家の境界をはっきり画定するのは簡単ではありません。

現代に続く系譜としてクロマニョン人がフランスにいたことは考古学的にわかっています。その後紀元前900年頃からフィン族などに追われたケルト人の部族が多くフランスに移住し、定住を始めます。その頃文明がとても進んでいたイタリアやギリシアではこの地をガリアと称していました。

紀元前58年に共和制のローマからカエサル(=シーザー)がこの地を植民地にするために遠征を行ないました。ケルト人は抵抗しましたが、部族単位でしか行動できなかったし、圧倒的な文明力の差でケルト人は破れ、それ以降社会的な仕組み、宗教、文化、言語などすべてローマ化していきます。フランスではこれらのケルト人を“ガリア人gaulois”と呼び自分達の祖先だと思っている人が大勢いますが、現代のフランスにはガリアの名残りは数少ない人名や地名のみとなっています。

5世紀の中頃に西ローマ皇帝が死ぬと帝位が空白となり、ローマ帝国は溶けてしまったように消え去ります。原因のひとつとして長く続くゲルマン人たちの西ローマ帝国への進入が挙げられます。ガリア(フランス)でも同様でした。ゲルマン人もかつてのケルト人と同じく部族単位で行動しましたが、すでにローマの文明を身に付けたキリスト教徒になっていました。いくつかの部族のうちフランク族がガリアに侵入し、なかでもベルギー辺りに侵入して治めていた1部族の長クローヴィスが5世紀終わり頃にほぼ現代のフランス全土に領地を広げました。この頃フランク人の地としてフランスという地名が定着したのです。

少し長くなりましたが、“フランス”の始まりはこんなところです。その後もフランスはその国境を大きく広げたり縮めたりしながら今日に至っています。

次回「フランス料理とはなにかⅡ」に続きます。

日仏料理協会
宇田川 政喜
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