メニューの歴史と現実

食事を提供する店ならおそらく世界中どこでもメニューがあるでしょう。特に高級店のメニューは、それ自体が美しく、これから始まる美食の世界を想像させるに足る言葉で書かれています。
メニューは、もともとmenuと書くフランス語で、[ムニュ]と発音します。「小さい、些細な」を意味する語が語源です。因みに日本では専ら「品書き」の意味で使っていますが、フランスのレストランではmenuは「コース料理」の意味で用い、品書きはcarte[カルトゥ]と言います。
旧体制の時代、つまりフランス革命以前の王や貴族の会食には品書きは存在せず、自分の周辺にあるものを周りの人に頼んで取ってもらって食べるしかない、という食事風景でした。この頃の品書きは、サーヴィス係や料理人が仕事の段取りをしやすいようにキッチンの壁に張り出したものしかありませんでした。フランス革命が起きて王や貴族の館で働いていた料理人や支配人たちが街に出て食堂を開き始めた19世紀になると店の前に「本日の料理」を張り出したり、黒板に提供する料理を書いて告知したりするようになりました。高級料理の分野でもサーヴィス方法が変わってかつてのようにすべてを一度に卓上に並べるのではなく、サーヴィス係が大きな銀盆を持ちまわって客に料理を見せ、取り分けてくれるようになったと同時に、今日何を食べるかがわかるようにきれいに書かれた品書きを用意するようになりました。
幕末の日本に西洋文化の代表のような形で導入されたのはこういう時代のフランス料理だったのです。鹿鳴館を皮切りに日本中に広まっていきました。メニューのフランス語日本語併記はすでにこの頃定着したのでしょう。客がわかってもわからなくても、明治政府が目指した欧化政策に従っていたのです。

でも今だって笑ってはいられません。洋食屋さんを除いて、どのフランス料理店でもイタリア料理屋でも西洋料理を提供する店は、読む人もいないフランス語やイタリア語でも書いてあるのです。それでもきちんと書かれているのならいいのですが、ミススペルや文法の間違いのオンパレード。例外を除いてほぼすべてのメニューフランス語は全滅です。一昔前にフランスやイタリアの日本料理店のメニューが噴飯ものだったことを思い出させてくれます。それほどめちゃくちゃに近いフランス語やイタリア語ならいっそのこと唐草模様でも書いておいてくれる方がよっぽどましです。
1970年代から多くの日本人料理人がフランスやイタリアへ修行に出かけ、人にもよりますが、比較的長い期間滞在していたはずなのにその人たちがこんなメニューを書くなんて。料理の修業はしてもフランス語はおろそかにしていたのでしょう。メニューを書いている料理長の皆さん、フランス語で書くのならせめて間違いのないようにしてください。初めに書いたようにメニューは想像を膨らませるいわば文学的なキャッチコピーなのです。客にもフランス語を理解する人もいるのです。そしてその人たちの食欲は散在する間違いで削がれていくのです。

日仏料理協会
宇田川政喜

フォワ・グラのテリーヌ

日本の外食産業はとても研究熱心です。かつてはフランス料理の高級食材として知られていたフォワ・グラがファミリーレストランや居酒屋で注文できるようになりました。

フォワ・グラはご存知のように鴨や鵞鳥といった渡り鳥の肥大肝臓です。これらの鳥は、長くてハードな移動期間の栄養を蓄えるためにらくだがこぶに貯めるように肝臓に脂肪を蓄えるのです。だから多くの人が考えているように強制肥育だけによって脂肪肝を作っているというだけではなく、もともと備わった自然のエネルギー蓄積システムを人間が利用しているのです。もし強制肥育だけで脂肪肝が得られるのなら鶏でもできるはずでしょう。ですから鴨や鵞鳥の肝臓は、病的な人間を含めた他の動物のそれとは区別するべきなのです。

閑話休題。私はフォワ・グラのテリーヌが大好きです。私の料理知識の先生でもあるリヨンのMOFシャルキュテイエ、ジョルジュ・ドラングルさんの作る抑制のきいた上品な鵞鳥のフォワ・グラのテリーヌは、今でも夢に出てきます。フランスには鴨、鵞鳥ともフォワ・グラには日本の和牛のように1級から5級のランクがあります。適度な大きさで脂肪が多すぎず少なすぎず、痣や傷のないものが1級です。そして鵞鳥の方が鴨より1.5倍ほど高いのです。今は知りませんが、かつては1級のフォワ・グラは日本に輸入されず、フランスで消費されていました。
レストランでは鴨のフォワ・グラをフライパンでソテすることが多いのですが、味の濃いフルーツ系のソースなどを合わせることを考えてあえて苦味の強い鴨を使うのです。
テリーヌは、ポルト酒、パプリカパウダー、塩、胡椒を振ってなじませておいた鵞鳥のフォワ・グラを厚手のテリーヌ型に詰めて低温のオーヴンで加熱し、ゆっくり冷ましてから冷蔵庫でなじませた料理です。ドラングルさんはフォワ・グラの香りに邪魔になる、という理由でトリュフを加えることも好んではいませんでした。

先日パリの2つ星レストランで近年にしては珍しくフォワ・グラのテリーヌがあったので注文しました。今どきのガストロノミックなレストランですからとても上品に小さな直方体にカットされたテリーヌが3つほど付け合わせとともに皿に鎮座していました。フォークで刺すのも惜しいようにきれいに盛り付けされた品を口に運んで少し驚いてその後少しがっかりしました。バターのような舌触りなのです。フォワ・グラの風味も心なし淡い。かのオーギュスト・エスコフィエも言っているようにシャルキュトリの名人が作るテリーヌに料理人のそれはしょせんかなわない、というのがもし正しいとしても2つ星のレストランならもう少し何とかなるだろう、と思いました。私なりに原因を考えてみると、そこには調理機材の現代化がみえるのです。伝統的なオーヴンで加熱するとどんなに上手に工夫してもどうしても脂肪が融解分離し、20~40%のロスが出るのです。一方、現代のコンヴェクションオーヴンや真空調理法を利用するとほぼロスが出ません。原価率に大きく影響するし、新調理法で機械的に調理をコントロールする方が技術的なリスク、つまり失敗がないのです。その代わり脂っこさが出てしまうのです。レストラン経営者としてフォワ・グラのテリーヌの製造過程で生じるロスを減らすことを追求してきた私へのしっぺ返しのような食事でした。
脂肪だらけの和牛肉を食べるにもしゃぶしゃぶにしたりして脂肪を落とします。本当に美味なものを追求するには経済効率を同時に求めてはいけないのでしょう。やはり「おいしいものをリーズナブルなお値段で」「や、安くておいしい」はしょせんそれなりなのでしょう。

日仏料理協会
宇田川政喜

ストラスブール II シュークルート ベクノフ

アルザス地方の名物と言えばだれもが思いつくのがシュークルート。酸味のある千切りのキャベツとベーコンやソーセージなどの豚肉製品を煮た、いかにもドイツ風の食文化を表しているこの料理は、フランス中の人がアルザスと結びつけるものです。ドイツ語のSaurkrautサワークラウトをアルザス地方で発音だけを映して意味は異なるchouシュー=キャベツ、croûteクルート=食事のこの語の意味はsaur=酸っぱい、kraut=キャベツです。
ドイツやベルギーのビヤホールでもよく提供されるサワークラウトというこのキャベツは、意外にも白菜の漬け物と同じ発祥のようです。中央アジアの遊牧民族が保存食料のひとつとしていた乳酸発酵した野菜を中国が取り入れたのが白菜漬け、3世紀頃から激しくなったフン族のヨーロッパ侵略の際、遺したものがサワークラウトです。
キャベツを千切りにすることで酵母を出しやすくし、塩漬けにして乳酸発酵させます。昔は樽で、今はプラスチック容器に入れて石などの重しを乗せる様まで白菜の漬け物とよく似ています。
伝統的にはゲルマン的つまりアルザス的にシャルキュトリ製品をシュークルートと共に鍋に入れ、杜松の実、粒黒胡椒、クミンシードなどで香りづけしてアルザス産白ワインを注ぎ入れ、蓋をして蒸し煮にします。ストラスブール中心にある大聖堂の正面にあるレストランカンマーゼルが1970年代から魚のシュークルートを提供し始め、評判を呼びます。薄味のシュークルートの上に鮭、白身魚、鰊の燻製キッパーズをスライスして並べ、上から一種の白ワインソースをかけたものです。ハムやソーセージなどシャルキュトリ製品と酸味のシュークルートに慣れた私にはあまり歓迎するものではありません。でも超満員の店にいるとこれをおいしいと思わない私が間違っているのだと思えるようになります。

maison Kammerzell  choucroute

シュークルートと並び称されるアルザス料理にベクノフがあります。Baekenofe、Baekeoveと綴るこの料理は伝統的に蓋付き楕円形の重い鉄製鍋にじゃが芋、肉、野菜を入れてオーヴンで長時間蒸し煮した料理です。
Baekeベーカー、パン屋、offe,oveオーヴン、窯、の意味のアルザス語で、かつてパン焼き職人がパンを焼き終わったオーヴンに客が鍋を入れて煮込んだのがこの料理の始まりです。庶民が肉を食べられない時代にはチーズとじゃが芋で作っていたそうです。

Baekenofe  Baekenofe

シュークルートやベクノフ、ブルゴーニュ地方の牛の赤ワイン煮込みブフ・ブルギニョン、フランドル地方の肉と人参、玉ねぎの煮込みポチュレヴィシュ、マルセイユの魚の煮込みブイヤベースなどなど、地方の大衆料理には共通したものがあります。いずれも鍋ひとつでできること、じゃが芋や穀物に野菜、肉を加えて完全食品にすることです。異なるのは地方により用いる香草や香辛料の違い程度。日本の各地にある郷土の名物鍋料理にとてもよく似ています。これらをおいしいい、と心から思うには慣れ親しんだその土地や風土、会食する家族や仲間の顔、が必要になるでしょう。食は食べ物だけで成立してはいないことがよくわかります。

日仏料理協会
宇田川政喜

ストラスブール I

今月初旬、料理長の会、エスコフィエ協会の国際総会が東フランス、アルザス地方の都市、ストラスブールで開催されたので行ってきました。

アルザス地方は、あまり旅をしない私にとって初めての土地です。

ローマ時代から古代ローマとゲルマン人がぶつかるいわば文明の国境にある地方で、19世紀から20世紀半ばにかけてドイツとフランスの領土分捕り戦争の主戦地になって人々は大変苦労しました。戦後はその反省を含めてヨーロッパ共同体ができ、今では欧州議会が置かれてヨーロッパの中心地として栄えています。

食文化としてははっきりとゲルマンつまりドイツ的で、名物のシュークルートやベクノフをドイツ語みたいな店名のレストランで食べているととてもフランスにいるようには思えません。

ただ少し残念だったのは地名や店名は別にすると人々の会話がドイツ語的ではないのです。アルザス語はフランス語ではなく、ドイツ語方言なので日本を出る前にドイツ語のおさらいを少ししたのですが、聞こえてくるのはフランス語ばかり。地元の人に聞いたらアルザス語は特に若者の間ではすっかり廃れてしまってみんなフランス語になってしまったと言っていました。先進国ではどこでもそうですが、地方色がどんどん失われてしまって旅の楽しみが少なくなりました。そういえば私がかつて住んでいたプロヴァンス地方でもプロヴァンス語はおろかプロヴァンス訛りさえ少なくなってしまっています。

しかしこの均質化は違うところでは素晴らしい効果を上げています。トラムtram=市電、です。パリにこそ外周部にしかありませんが、マルセイユだろうが、ニースだろうが、リヨンだろうが、ちょっとした街にはほぼ必ずトラムがいてとても美しい。美しいだけではなく、低床式で乗り降りがとてもたやすく便利です。古い街並みに超モダンなトラムは新しい風景として私の心を奪います。

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次回は本題のアルザス料理についてお話します。ご期待ください。

日仏料理協会
宇田川政喜

フランス料理のこれから II

ガストロノミックな料理つまり高級西洋料理の調理は、社会が階層化した時代から現代に至るまでずっと専門家である料理人の仕事です。つまり料理人を雇う財力のある人だけに許された贅沢だったのです。それが1789年のフランス革命以降、王や貴族による雇用がなくなった料理人たちが産業家と組んで街に出て、レストランを興します。城や館で抱えていた料理人を不特定多数の人間が共有することになるのです。

このことをコストの面からみるとどうでしょうか。2000年ほど前の古代ローマの貴族アピキウスは、大勢の友人を招いて大宴会を開くのが常でしたが、ある日自分の財産が3億円しかないことに気づき、最後の晩餐会の後毒を仰いで自殺してしまったという逸話が残っています。自由、平等、博愛を謳ったフランス革命後の19世紀のパリの高級レストランの客単価は20万円とも30万円ともいわれます。そして21世紀の今、一人10万円のレストランはほとんど存在しません。この2000年の間の富の平均化を目の当たりにすると人間、随分平等になったなあ、と思いませんか。少なくとも日本ではその気さえあれば超高級レストランでランチを楽しむことくらいできそうです。でも古代ローマの3億円パーティーや19世紀の一人30万円の会食と同じようなものが食べられるとは思ってはいけません。平等化、民主化、合理化などによって手に入れられるものは、恐ろしいほど不平等な時代のそれとは本質的に異なったものなのです。昔がよかった、と言っているのではありません。ただ、何十分の一、何百分の一の対価で、同じものが手に入るはずがないと言っているのです。これは美食に限ったことではありません。ルネサンス様式、バロック様式、アール・ヌーヴォ様式の建築も今作るとすればとても考えられないほどの費用が掛かるのです。それでも建築は大切にすれば残りますが、ガストロノミはただ消えて行ってしまうのです。

食に贅を極める、という時代はもう戻って来ないでしょう。今はなんちゃってガストロノミの時代です。せめて懇意になった料理長に頼み込んで好きな料理を一品か二品特別に用意してもらう程度のことしかできないのではないでしょうか。

日仏料理協会
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